『ホグワーツ・レガシー』をプレイしていると、強烈に印象に残るキャラクター、セバスチャン・サロウ。
彼の複雑な家族事情や、禁じられた魔法に手を染める葛藤は、ただの冒険以上の深いドラマをゲームにもたらしています。
この記事では、セバスチャンの思いや彼を取り巻く友情と家族の物語を掘り下げながら、その魅力とプレイヤーとしての選択の難しさについて語ります。
セバスチャンというキャラクターとの出会い

『ホグワーツ・レガシー』をプレイしていて、最初に「このキャラクター、ただ者じゃないな」と思ったのが、スリザリン生のセバスチャン・サロウでした。
ちょっと皮肉屋で、でも妙に気が合う。魔法の腕もなかなかで、課外活動に誘ってくれたり、闇魔術についてやけに詳しかったり……。
「目眩し術」を教えてくれるのがセバスチャンなんですが、図書館に忍び込むときに教えてくれます。
最初の印象は、スリザリンらしい強さとずる賢さって感じです。
彼との関係が深まっていくうちに、単なる“仲間”という言葉ではくくれないような、もっと複雑で人間くさい部分が見えてきます。
特に、彼の家族のこと、双子の妹・アンのことが明かされるにつれて「セバスチャンって、なんて重いものを背負ってるんだろう」と感じるようになりました。
最初はやんちゃな相棒くらいの気持ちだったけど、話が進むほどに、彼のことを簡単には割り切れなくなっていきました。
家族への想いと『許されざる呪文』
セバスチャンの物語の核心にあるのは、やっぱり「家族」です。
特に妹のアンへの強い想いが、彼の行動のすべての原動力でした。
アンは呪いによって苦しんでいて、普通の魔法ではどうにもならない状態。
セバスチャンはその状況をどうにかしたくて、闇魔術にまで手を伸ばします。
「闇の魔術は危険だ」とか「許されざる呪文は絶対に使っちゃいけない」と教わってきたのに、それでも彼は、自分の手で妹を救おうとする。
その覚悟と行動力に、正直、僕はすごく揺さぶられました。
「インペリオ」や「クルーシオ」そして「アバダ・ケダブラ」
これらを学ぶシーンは衝撃的だけど、「なぜ彼がそれを選んだのか」を知っていると、単なる“悪”とは思えなくなってくるんですよね。
彼にとっては“タブーを破る”というより『最後の希望にすがる』という切実な選択だったように感じました。
禁じられているってわかっていても、大切な人を救いたい気持ちは止められない。だから、セバスチャンの選択に、僕はただ『間違ってる』とは思わないんですよね。
プレイヤーとしての葛藤と選択

セバスチャンのストーリーで特に印象的だったのは、「プレイヤー自身がどう判断するか」が何度も問われる点でした。
とくに終盤、彼がある「取り返しのつかないこと」をしてしまったとき、その後どう接するかをこちらが決めなければならない展開になります。
僕は正直、すごく悩みました。
「彼の気持ちはわかる。でも、それを許してしまっていいのか?」「これからの彼を見守るべきか、それとも…」と、選択画面の前でずっとフリーズしてしまったんです。
「取り返しのつかないこと」はムービーで起こるし、分岐もありません。
セバスチャンとはこれからも冒険をしたい仲だったからこそ、どう接したらいいのか分からなくなりました。
しかも、ストーリーの中でセバスチャンの選択をどう受け止めるかは、ただのロールプレイ以上に、自分の価値観を試されているような気がします。
「善悪」や「ルール」だけじゃなくて、「共感」と「信頼」みたいな、もっと曖昧な感情で揺さぶってくるんですよね。
この選択は、人によって全く違った反応になると思いますし、それがまたこのゲームの深さでもあるなと思いました。
セバスチャンの物語が問いかけるもの
セバスチャンの物語は、プレイヤーに「正しさってなんだろう?」と問いかけてきます。
妹のアンを救いたい一心で、彼は闇魔法にも手を出してしまいます。
それが正義なのか、暴走なのか──その判断は、簡単にはできませんでした。
ここで重要な役割を果たすのが、親友のオミニスです。
彼はセバスチャンとは正反対の立場にいながら、見捨てることなく、常に葛藤しながらも寄り添い続けます。
セバスチャンが突き進む力を象徴するなら、オミニスは理性やブレーキの役割を担っているように感じました。
個人的には、この2人のバランスにすごく惹かれました。
お互いが信念を曲げずにぶつかり合いながらも、縁を切らない関係って、現実ではなかなか難しい。でもそれがあるからこそ、プレイヤーである私自身も「自分ならどうするか?」って真剣に考えさせられました。
どちらの言い分もわかるからこそ、どっちつかずの返答を繰り返してしまって「今1番邪魔なのは主人公なのではないか?」と思うことが多かった。
主人公がいたことでの甘えもあったから、上手く繋いでいられたのかもしれないんですけどね。
この物語のすごいところは、「選択を迫られる」のではなくて、「選択に向き合わざるをえない」ところだと思います。
感情に寄り添いながらも、冷静さも失わないでいることの難しさ。セバスチャンとオミニスのやりとりは、そのリアルさがひしひしと伝わってきました。
セバスチャンの思い 〜救いたい気持ちが、彼を変えた〜

セバスチャンは、ただ妹を救いたかったんです。
アンの呪いを解く方法を求めて、彼は本当にどこまでも突き進みました。
闇の魔術にも、禁じられた呪文にも、迷いながらも手を出してしまったのは、それだけ彼の「家族への想い」が強かったからだと思います。
彼の選択は、明らかに正しいとは言えません。
でも、「もし自分の大切な人が苦しんでいたら、自分はどこまでできるだろう?」って考えたとき、セバスチャンの気持ちが全く理解できないとも言い切れないんですよね。
私自身、セバスチャンの行動には葛藤を感じながらも、どこかで「分かるな…」と思ってしまいました。
彼の暴走は、ただの自己満足じゃなくて、誰かを本気で思っていたからこそのもの。
だからこそ、物語の中でいちばん心に残るキャラクターになったのかもしれません。
きっと『1番の間違いは「自分と違う考えの人を敵」としてしまったこと』だと思います。
アンの思い 〜傷ついた心と、兄への複雑な感情〜

アンは、とにかく「普通に生きたかった」んだと思います。
突然襲われて呪われて、身体も心もボロボロになってしまった彼女にとって、平穏な日常はもう手の届かないものになってしまった。
それでも望んでいたのは「これ以上誰も傷つかないこと」だったんじゃないかなって思うんですよね。
セバスチャンがどれだけ自分のために動いていたか、きっとアンも分かっていたはずです。
でもその行動の果てに、さらに大きな犠牲が生まれてしまったことが、彼女にとっては一番つらかったんだと思います。
誰よりも兄を信じていたからこそ、その裏切りにも似た現実に、深く傷ついたんじゃないでしょうか。
私は、アンの強さと優しさに何度もはっとさせられました。
自分が一番苦しい立場なのに、それでも兄を止めようとする。
その姿は、ただの被害者じゃなくて、物語の中でもしっかり自分の意思を持った“ひとりの人間”として描かれていて、印象的でした。
オミニスの思い 〜友情と正しさの間で揺れる心〜

オミニスは、セバスチャンとはまた違った意味で、とても人間らしいキャラクターだと思いました。
闇の魔術の家系に生まれながら、それに染まらず、むしろ強く否定している。
そんな背景があるからこそ、セバスチャンがどんどん危うい方向に傾いていくのを、見ていられなかったんだと思います。
でも、じゃあ「見捨てられたか?」って言うと、決してそうじゃないんですよね。
オミニスはずっとセバスチャンのそばにいました。
何度も忠告して、それでも離れなかった。口では厳しいことを言いつつ、最後の最後まで彼を見放さなかった姿は、本当の友情そのものだなって感じました。
「正しいこと」と「大切な人を信じること」
このふたつが必ずしも同じ方向を向いてくれるとは限らない。
それでも、オミニスはその狭間で葛藤しながらも、自分の信念と友人の絆、どちらも手放さなかったんです。
個人的には、あの静かな怒りや苦悩の中に、すごく深い愛情を感じました。
セバスチャンやアンとはまた違った立ち位置から、物語の重みを支えてくれた存在だと思っています。
オミニスがいなければ、セバスチャンはただの闇の力に溺れた人になっていたかもしれません。
「取り返しのつかないこと」を認め、反省をできたのはオミニスがいたからだと思います。
まとめ:心を揺さぶられた、あの選択の先に
『ホグワーツ・レガシー』のセバスチャン編は、ただのサイドクエストには収まりきらない深みがありました。
「正しさ」と「守りたいもの」の間で揺れる彼の姿は、とても人間的で、プレイヤーである僕自身にも選択を迫ってきます。
禁忌の魔法に手を出すリスクも、友との関係も、自分の判断に委ねられるからこそ重い。
そしてそれが、この物語を特別なものにしていました。
アンの苦しみ、オミニスの迷い、そしてセバスチャンの絶望。
彼らの抱える感情がぶつかり合うシーンの数々は、見ていて本当に苦しく、目を逸らしたくなるほどでした。
正直、この物語を最後まで進めるのは少し嫌でした。途中から結末はなんとなくわかりますからね。
違うエンドを期待しながら進めていた節もあります。
でも、だからこそ、私は彼らにここまで心を揺さぶられたのだと思います。
セバスチャンにどんな未来を選ばせるか。彼を許すのか、それとも——。
その選択は、ゲームの中の登場人物ではなく、「自分」に委ねられます。
そこに、このストーリーの核心があると感じました。
重たいテーマではありますが、だからこそ、プレイしたあとの余韻が深く残ります。
もしこれから彼の物語を体験する人がいれば、その選択がどんな形であっても、きっと忘れられない記憶になるはずです。
