最近、「ちゃんと呼吸してる?」と聞かれたら、ちょっと答えに困る
深呼吸なんていつしたっけ、って思い返すほどに、いつも何かに追われていた気がする
実際はタバコを吸うので深呼吸はしているほうだと思う
それが深呼吸かと聞かれると微妙なところ
気がついたら、息をするのも忘れてるみたいだった
そして、ある日ふと思い出したように、ずっと放置していたゲーム機の電源を入れた
そのとき始めたのは、ずっと気になってたスローライフ系のゲーム『牧場物語』
畑を耕して、魚を釣って、誰に急かされるでもなくゆっくり過ごす――
最初は、正直ちょっと戸惑った。「これって、何をすればいいの?」って
目的を提示されないと何をしていいのかがわからない
でも、時間が経つうちにわかってきた
「何もしなくてもいい」「急がなくていい」って、こんなに安心できるものなんだって
画面の中で朝が来て、鳥が鳴いて、ゆるいBGMが流れて
ただそれだけで、胸の奥のカチカチだった何かが、少しずつほぐれていった
ゲームの中には、誰も僕を急かす人はいなかった
ミスしても責められない。誰かの期待に応えなくても大丈夫
プレイヤーのペースで進めていいって、それだけでこんなにも救われるなんて思わなかった
改めて気づいたのは、「癒し」って、ただ優しい世界があることじゃなくて“自分のままでいても許される場所”なんだということ
たとえば、何度も同じ作業をすること
釣りをして、売って、また釣って…ゲームの中ではルーティンが多いけど、その繰り返しがむしろ落ち着く「わかってること」があるって、安心につながる
現実では「もっと効率的に!」って求められてばかりだったから、“何も起きない時間”が、むしろご褒美みたいに感じた
現実でもこんなにマイペースに生きていけたらいいのに
ゲームの中では生きるためのお金を稼がなくても生きていける
税金を取られることもない
自分の家で、敷地で好きなように生きていられる
いつのまにか、ゲームは自分の呼吸を取り戻す場所になっていた
逃げ場とか現実逃避っていうと、どこかネガティブに聞こえるけど、
「ちゃんと戻ってこれるための避難所」って言ったほうが近いかもしれない
ゲームの中で安心できるからこそ、現実でももう一度立ち上がれる
何もしたくない日、誰とも話したくない日、自分のことすらよくわからない日
そんな日々に、ただ黙って「ここにいていいよ」と言ってくれる場所があった
今も僕は、よくゲームをする
強くなるためじゃなく、勝つためでもなく、ただ自分のペースで、ゆっくり歩いていくために
誰からも急かされない世界で、ようやく呼吸ができる
それだけで、今日をもう少しだけ、生きてみようと思える
あなたがちゃんと呼吸できる場所は、どこですか?