ゲームをクリアした瞬間、エンドロールが流れ出す
達成感、寂しさ、そして何とも言えない満足感
ああ、終わったんだなと、しみじみ感じるあの時間
でも、思い返してみると、本当に心に残っているのはエンディングじゃない
はじめて街の風景に感動した瞬間や、NPCと交わしたささやかな会話
強敵に何度も挑んで、やっとのことで倒したあのときの達成感
意味があるのかもわからない寄り道のすべてが、記憶のなかに残っている
そしてふと思う。 人生も、同じなんじゃないかって
「ゴール」ばかりを求めていた頃
正直に言うと、昔の僕は“早く終わらせること”が大事だと思ってた
ゲームなら最短ルートでクリアして、実績とかトロフィーとか、そういう「目に見える成果」が欲しかった
YouTubeを見ると3日でクリアする人やラスボス攻略の動画を上げてる人を見て焦っていた
人生でも、就職して、結婚して、◯歳までに何かを成し遂げて……って、どこかで決められた「ゴール」に向かって焦ってた
そのゴールは自分に必要なのだろうか
気づけば、周りの声や世間の基準を、自分の目標にすり替えていた
そうやって走り続けてると、だんだん「なんのためにこれやってんだっけ?」って、わからなくなる
ゲームも、作業みたいになって、楽しくなくなってしまう
人生も同じで、目の前のことに追われすぎていると、心が置いてけぼりになる
「楽しいはずだったのに、気づいたら息苦しい」って経験、きっと誰にでもあると思う
寄り道から得たもの
そんなとき、ふと寄り道してみたゲームのサブクエスト
全然メインストーリーとは関係ないのに、めちゃくちゃ感情が動いた「ありがとう」「また会おうね」って、名前も覚えてないNPCのひとことが、なぜか心に残った
レベル上げでもなければ、報酬が特別にいいわけでもない
それでも、心に残ったのは、そこに“物語”があったからだと思う
現実でもたまにこういったことがある
予定をサボって友達とだらだら話したり、目的もなく散歩したり。意味がないって思ってた時間が、あとから振り返ると「宝物だったな」って思えたりする
寄り道って、決して無駄じゃない
むしろ、そこにしかないものがある
心をやわらかくしてくれる出来事は、大体いつも“寄り道の中”にあった
だからこそ、急がなくていい
ゴールに向かうのが大事、って気持ちは今でもわかる
ただ最近はこう思うようになった『どこに向かうか』より『どう歩くか』の方が、ずっと大事なんじゃないかって
ゲームも、人生も、急いでクリアしなくていい
むしろ、ゆっくり進んだからこそ見える景色や出会える人がいる
ちょっと立ち止まったり、遠回りしたりして見るのが大事なときもある
それが、ちゃんと意味のある時間になってるって、今ならわかる
SNSで人の成果ばかり目にすると焦ることもあるけど、他人のマップと自分のマップは違う自分の地図を、自分のペースで開いていく
その進み方こそが、自分の物語になるんだと思う
エンドロールに何が映るかより、そこまでの物語を
たぶん、これからも僕は回り道ばっかりすると思う
流行のゲームをすぐにやることは少ないし、ちょっと話題に乗り遅れることもある。 人生も同じで、みんなが進んでる道から外れて、不安になることだってある
でも、それでもいいと思えるようになった。 エンディングがすごく感動的でも、そこまでの物語が自分にとって空っぽだったら、たぶん心には残らない
大切なのは「何を成し遂げたか」じゃなくて、「どんなふうにそこまで来たか」なんだよね
ゲームの中で撮ったスクリーンショットや、ふと出会ったキャラの言葉みたいに
自分の人生の中にある、誰にも見えない小さな思い出や気持ちを、大事にしていきたい
たとえそれが他の人にとっては価値のないものでも、自分にとって意味があれば、それでいい
だから僕は、今日も寄り道しながら生きていく
焦らず、比べず、自分のペースで
人生も、“スローゲーマー”でいいんだ
少しずつでも、自分の好きな風景を集めていこう。 いつかそのスクリーンショットが、人生というゲームの中で、かけがえのないアルバムになると信じて