最近のホラーゲームって、親切だなと思うことが増えました。
ヒントはちゃんと出るし、詰まるポイントには導線があるし、こまめにオートセーブも入る。
でもその分、「怖さ」や「不自由さ」と一緒に、あの『どうにかするしかない自分』を、どこかに置いてきてしまった気がします。
そんなことを、『サイコブレイク』という古いゲームをプレイしながらふと思いました。
昔のホラゲはプレイヤーにやさしくなかった

最近のホラーゲームに慣れていると、昔の作品って本当に不親切だったなって思います。
弾は少ないし、セーブするのにアイテムが必要だったりするし、回復薬も全然落ちてない敵は強くてしつこくて、一発で死ぬような罠もゴロゴロしてました。
しかも、何が起きてるのかも分からないまま、唐突にゲームオーバーになったり。
でも、当時はそれが当たり前だったし、それが怖さにつながってた気がします。
たとえばセーブ。最近はオートセーブが当たり前だけど、昔はセーブポイントを探して、ようやくセーブできると思ったら敵が出てきてやられて……ってなると、そこまでの苦労が全部パー。
めちゃくちゃ悔しいけど、だからこそ緊張感がありました。
「これ以上先に進んで大丈夫かな」「今ここで回復使うべきかな」って、常に迷いながらプレイしてたし、そういう迷いそのものが怖さを生んでたんだと思います。
最近のホラゲが優しくなった理由と、その功罪
今のホラーゲームって、すごく『遊びやすい』くなったと思います。
オートセーブがあるし、マップも分かりやすい。ヒントが画面に出てくるし、死んでもすぐにリトライできる。
チェックポイントも細かく設定されてて、理不尽に巻き戻されることは少ない。
これって、すごく親切だと思います。
ゲームに慣れてない人でもストレスなく遊べるし、ホラーが苦手な人にも優しい設計になってると思うんです。そういう『やさしさ』に、いつの間にか甘えてました。
たとえば、ちょっと怖い場所に入るときも「まあセーブされてるし」ってどこか安心してる自分がいて飛び込めます。
何かに追われても、死んだらやり直せるって思ってるから、怖さが少し薄れています。
失うものがないから、慎重さも緊張感も、どこか軽くなってしまってるんですよね。
もちろん、怖さの質が変わっただけとも言えるんですけど、それでもあの『何が起こるか分からない恐怖』を、昔ほど感じなくなったのは、システムが優しくなったからなんだと思います。
そのおかげで、プレイ人口が増えたり、限られた時間の中でしかプレイできない人もクリアができたりするんだと思います。
そのせいでコンテンツの賞味期限が短くなっているのかなと、感じるところもあります。
『サイコブレイク』に感じた『古さ』と『怖さ』

『サイコブレイク』をプレイしていて、最初に感じたのは「なんか、昔のゲームっぽいな」ってことでした。
操作はちょっと重たいし、視点も動かしづらい。セーブポイントは限られてて、ちょっとした油断であっさりゲームオーバーになります。
そもそもマップなんてものはないので、自分でマッピングをしていかなければいけません。目的地がはっきりしていない場面も多い。
発売されたのが2014年なので、実に11年前のゲームということになります
(2025年現在)
正直、最初は「不親切だな…」って思いました。
でも、進めていくうちに気づいたんです。
この『古さ』が『怖さ』を生んでる。
たとえば、追われてるときに視点がうまく動かせなくて、後ろが確認できない。それだけで緊張感がグッと増します。
固定カメラのアングルだと進行方向が見えないので、音を頼りに行くしかなくなるんですよね。
セーブできないから、死んだときのリスクも重く感じるし、「死にたくない」って本気で思います。
マップがないからこそ、「ここで何が起こるか分からないのに、隅々まで探索をしないといけない」っていう、昔ながらの探索のドキドキも出てきます。
昔は当たり前だったこの仕様が、今の自分にはすごく新鮮だった。そして、怖かった。
『やさしくないこと』が『怖さ』に直結していた。
ホラゲを通して、自分が恐れていたこと
『サイコブレイク』をやっていて、何度も「うわ、もう無理かも」と思いました。
敵が強い、アイテムが足りない、マップがわからない――プレイヤーとしての『自信』をどんどん削られていく。
でも、それってゲームの難しさや怖さだけが理由じゃなかった気がします。
正直、最近のゲームに慣れすぎていたんですよね。
親切なUI、手厚いヒント、チェックポイントの多さ――「失敗してもすぐやり直せる」「分からなかったらガイドがある」
そういう『安心』が当たり前になっていて、ちょっとでもそれがないと、不安になる。焦る。
自分の進んでる道が正しいとわかるのは、本当に親切だと思います。
つまり、怖いのは「ゲーム」じゃなくて「自分がちゃんとやれてるか分からない不確かさ」でした。
「次に何をすればいいのか分からない」とか、「このまま進んで本当に大丈夫?」って感覚。
それは、ゲームだけじゃなくて、人生でもよく感じる不安に似てるなって思います。
自分は、怖さよりも『無力感』を恐れていました。

今10時間ほどプレイしていますが、ようやくチャプター10に辿り着いたところです。
ゲームの『不親切さ』がくれたもの

『サイコブレイク』は、不親切なゲームだ。
マップはないし、敵は容赦ないし、説明不足のまま放り出されることもしょっちゅう。
おかげで倒せるのか分からない敵に立ち向かっていくこともあります。
でも、その『不親切さ』が、久しぶりに自分を奮い立たせてくれました。
自分で考えて、自分で動いて、失敗して、また立て直す。
一見、不親切に見えるその設計は、実は「信頼」なんじゃないかって感じます。
「お前なら、なんとかできるだろ」って突き放すようでいて、ちゃんと最後まで見守ってくれてるような、そんな感覚。
手取り足取り教えてくれないけど、だからこそ一歩進んだ時の達成感が大きい。
怖くて逃げたくなるけど、乗り越えた先には確かな自信がある。
自分の足で進んでいく、っていう体験が、こんなにもじんわり心に残るんだなって、あらためて感じた。
最後に〜優しさに慣れた僕らが忘れかけていたこと〜
最近のホラーゲームって、よくできてます。
UIは見やすくて、ヒントも適度にあって、プレイヤーに優しいつくりが多い。
それはもちろん悪いことじゃないし、快適に遊べるのはありがたい。
でも、『サイコブレイク』を通して思ったのは
「いつの間にか、優しさに甘えていたな」ということ。
怖いから離脱、分からないから攻略サイト。
それでも楽しいし、それでいい時もある。
けど、ちょっとくらい不便で、不親切で、不安で、それでも進もうとする自分を、たまには思い出したくなりました。
小さい頃は、攻略サイトなんてなくて、情報の少ない攻略本を片手に遊んでいました。
不便なゲームは、不自由だけど、そのぶんだけ『自分でどうにかするしかない』っていう感覚が強くて。
だからこそ、自分の中に眠ってた根っこみたいな「やってみよう」が、目を覚ます。
『サイコブレイク』をプレイして、改めてそういう気持ちを思い出せました。
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