日記

僕がゲームをやめられない理由について考えてみた

僕はゲームが好きだ

でも、いつからか「ゲームをやっている」と言うことが、どこか肩身の狭いことのように感じるようになった

大人になってもゲームをすること、毎日のようにコントローラーを握ること

それは“子どもっぽい”とか、“時間の無駄”だとか、そんな言葉で片づけられてしまうことがある

けれど僕にとって、ゲームはただの趣味以上のものだった

孤独な夜、心がすり減った日々、誰にも話せない感情を抱えたとき

そんなときにそっと寄り添ってくれたのが、ゲームだった

ゲームは「暇つぶし」なのか?

「まだゲームなんかやってるの?」 そんなふうに言われたことがある

きっと悪気はなかったんだと思う

ただ、そう聞かれるたびに自分の中では何か違うと思っていた

ゲームは確かに『遊び』なのかもしれない

でも僕にとってゲームはただの暇つぶしではなかった

疲れた心をなだめてくれたり、誰とも話したくない夜に寄り添ってくれたり

現実では得られないやすらぎがゲームの世界にはあった

この記事では、そんな“スローゲーマー”である僕の視点から、 ゲームと共に歩んできた時間について、少しだけ語ってみたいと思う

疲れた心に、ゲームがあった

人と関わることに疲れて、家に帰っても何もする気が起きない日があった。人と連絡を取るのも面倒。でも何もしていないというのは落ち着かない。そんなとき、手が伸びるのはコントローラーだった

ゲームの中には、僕を急かすものが何もなかった

ただ単調なするだけでもいい。ミッションが出ても自分の好きなことをしていていい

現実ではどうしようもなかった感情を、ゲームの中でゆっくりとほどいていたんだと思う

ゲームは癒しでもなく、現実逃避でもない、“もうひとつの居場所”

ゲームをやっていると「現実逃避でしょ」と言われることもある

でも、僕の感覚は少し違う

現実から完全に逃げたいわけじゃない。ただ、その前にちょっとだけ息を整える時間が欲しい。 深呼吸して、気持ちを切り替えてから、また現実に戻りたい

ゲームはその「中継地点」になってくれた

誰にも何も求められず、ただそこにいていい時間

選ばなければいけないことも、競わなければいけないこともない

プレイヤーである僕を、静かに受け入れてくれる世界だった

スローゲーマーという生き方

僕は、流行のゲームをすぐに追いかけたりしない

話題になっていても、あえて手を出さないことだってある

それは「乗り遅れたくない」よりも「今の自分がそれを楽しめるか」を大事にしているから

早くクリアする必要もない

むしろ、ゆっくりゆっくり、世界の隅々まで歩いてみたい。何度も同じ街に立ち寄って、何気ない風景をスクショに残したい

「スローゲーマー」とは『自分の心にやさしくするためにゲームを選ぶ人

それは僕にとって、趣味ではなく、生き方に近い

ゲームは、心をつなぎとめる“灯り”だった

「ゲームなんてやめた方がいいよ」 そう言われたことも実は何度かある

ゲームをしない人にとってはただの時間の無駄に感じるかもしれない

でも、やめなくてよかった

やめていたら、今の自分はいなかったと思う

あのとき、ひとりぼっちの夜に寄り添ってくれた世界

自分を責めすぎていた頃に、やさしく抱きしめてくれた音楽や景色

ゲームがなければ、あの心のつらさを乗り越えられなかったかもしれない

だから今日も、僕はゲームをする

誰のためでもなく、自分のために。ゆっくりと、自分のペースで

それが、スローゲーマーという僕の生き方でありゲームをやめられない理由だ

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