最近はインターネットの普及によって、若い才能やきらびやかな生活が簡単に目に入るようになりました
「あんな風になりたい」
「SNSでフォロワー10万人なんて羨ましい」
「ブランドのバッグ持ってていいな」
「ファンがついていてあげた動画見てもらえていいな」
それに比べて自分は
そう思ったことありませんか?
インターネットに目を向けなくても
「同年代の結婚していくのに自分は…」
「周りが出世していくのに自分は…」
と思っていませんか?
周りを見てると『何者にもなれなかった自分』がすごく惨めになってきますよね
過去の自分はずっと何かになりたくて『ゲーム実況』『歌ってみた』『踊ってみた』
インターネットでできることは色々しました
正直20代はそこに全振りでしたね
そして30歳になる少し前に思ったんですよね
すごくもったいない10年だと思いませんか
プロフィールにもあるように僕は高校中退です
学歴もなければ、お金があるわけでもありません
なんだったら鬱になって仕事を辞めててマイナスしかありません
そんな僕は10年という期間を棒に振りました
不幸自慢をしたいわけではないのでここら辺で終わりましょう
何者にもなれなかった僕は今幸せです
「何者かになりたかった僕」が『何者にもならなくて良い』と思えたマインドを今回はお話しします
広義の何者かになる必要はない
インターネットの普及によって感覚が麻痺していますが、大半の人は世間から見て『何者』でもありません
今の時代はネットで有名になれば色々な人の目につきます
ただ、有名なのは一部界隈の人だけに対してだったりもします
関係ない人からしてみると「知らない人」つまり『何者でもない人』です
そうなんです
僕らが見ているのは広い世界の狭い一部なんです
もっと細かくすると「家族」「職場」「友人」その中で『何者か』になれば良いのではないでしょうか
そう思えたら「有名にならなくても良い」と思えてきませんか
人は誰かの『何者か』になっている
1人で生きている人はいないと思います
- 職場には同僚や上司、部下
- 家に帰ったら家族
- たまに連絡を取る友人
- SNSには会ったことないけどよく話す人
周りの人の中で自分は確かに『何者か』であります
なんて思う人もいるかもしれませんが、小さいコミュニティでなれないものは大きいくなれません
自分は誰かの何者かになれていると思いましょう
自分に対して『何者かになる』
多くの人が忘れがちなのが「自分も人」だということです
他人とは比べるけど、自分とは比べない
そんな人多いのではないでしょうか?
僕も実際そうでした
今でも忘れそうになるくらいには自分を軽く扱ってしまいます
今の自分は過去の自分の『何者か』になれています
5年前の僕ならこんなブログ書けていないだろうし、勉強をしようなんて思っていません
当時、僕は「誰かの何者かになろう」と思っていました
辛い時に笑ってもらえる実況者
聴きたいと思われる歌い手
そこに自分はいませんでした
今の自分は過去の自分より先に行ってる人です
自分という軸を持てば周りが見えなくなります
まずは自分のための『何者か』になりましょう
『何者かを目指す』と『何者にもなれない』
人は他人と比べてないものねだりをする生き物です
「隣の芝生は青い」
なんて言葉があるくらいですから昔からそうなのだと思います
- 結婚して羨ましい
- 出世できて羨ましい
- 有名で羨ましい
いざ自分が立ってみたら
- 独身で時間があって羨ましい
- 責任がなくて羨ましい
- 生活が自由で羨ましい
と思うかもしれません
上を見ることや、周りと比べることも大事だとは思いますが、まずは過去の自分を見てみましょう
確実に成長しているはずです
前に進めているならば、過去の自分が羨ましいとは思いません
他人を軸にするのではなく、自分を軸にして生きてると『何者にもなれなかった』と思うことが段々と少なくなっていきます